全画集0981 ポルト・リガトの聖母

更新日:2003/04/12

英語タイトル The Madonna of Port Lligat(2nd version) (参照画像)
制作年 1950年
大きさ 縦275.3*横209.8cm
所在 福岡市美術館

 著作権所有者の許諾未了のため映像を表示していません。TASCHENの全画集を参照ください。上記No.は全画集に表記のナンバーです。 (参照画像はアートオブポスターさんです。) 管理人abe

管理人の感想

 祭壇の中央にあって、ガラはキリストを抱きかかえ、キリストはパンを中心に抱え、パンを中心にした世界ができています。
 貝やコルクやバラなどの、それぞれ雑多なものが自己主張をしているが、確かな構成のためか、壮麗な印象が強く感じられます。

聖母ガラ

 ダリの支配者であり、保護者であり、マネージャーであったガラは、自己の目的を無くしたかのような、すさんだ関係になっていました。しかし、ガラという存在に頼って絵を描いているダリにとっては、ガラの存在を確保しておかなければなりません。ダリは絵の中でなら何でもすることが出来ました。ダリはガラを聖母にすることで、性とは無縁のものとしていたのだと考えられています。

もう一枚の絵

ダリは、このテーマでもう一枚の絵を描いています。それが1st version(全画集No.0939)です。大きさもずいぶんと小さく(49.0cm*38.5cm)いです。ダリは、この絵を持参して当時のローマ法王、ピオ12世に謁見し、祝福を受けています。また、それがために、シュールレアリスト・グループからの非難を受けるひとつの理由にもなりました。
 この絵は確かに後から描かれたものとテーマが同じで、自ら法王へ持参したのですから、ダリ自身が描いたのに間違いないと思いますが、この2つの絵を見比べると、その構成力や線の力があまりにも違い過ぎます。私は、法王へ持参した解説などを読む前は、直感的に、ダリが描いたものではないと思いました。実は今でもそのように感じているのです。いくら、文献などで間違いない事実であると分かっていても、そう感じてしまうのはどうしようもないのです。みなさん、よく見比べてみてください。

キリストとパン

 画面の中央部には、幼いキリストがとてもかわいらしく描かれています。
 下を向いてはいるものの、顔が見えます。ダリが描いたキリストは一部の作品を除いて、ほとんどのものは顔が見えません。
 キリスト教ではパンは神聖なものと聞いています。このパンは、絵の中央に位置していて、斜め後ろからの光をあびて神秘的に輝いています。この絵の主人公はこのパンなのではないでしょうか。

元になった絵

ダリは1930年代にイタリアへ行き、ルネサンス時期の絵を研究しています。下の絵は、ミラノのブレラ美術館にあるものです。ダリはこの絵を原形にして「ポルト・リガトの聖母」を描いたと考えられます。聖母の上部に描かれている貝殻と卵のモチーフが同じです。(ただし、貝殻の向きは逆です。)

ブレラの祭壇図、7ピエロ・デッラ・フランチェスカ作、ミラノ ブレラ美術館蔵
絵の大きさ

 この作品は、各画集によって、大きさの記述が大きく異なります。これは、驚くべきことです。この件に決着をつけてくれたのが、サルバドール・ノリさんです。ノリさんは、福岡市美術館へ行き、実測してくださったのです。このことについては、その他の絵の大きさを参照してください。

幻の名画

 この作品は、ダリが大きな作品(手が届かないような大きさ)を描いた最初のものです。ポルト・リガトの部屋から持ち出すのには、その大きさゆえに、窓を壊さなくてはなりませんでした。汽車に乗せる予定が、大き過ぎるためにトラックでパリへ運ばれました。船でNYに運ばれ、キャステアズ画廊に展示するのには、エレベータに入らないので窓まで吊り上げられました。
 カナダのヴィーヴァーブルック夫人の所有の時は、図書室に納められていて、窓かドアを壊して広げないと、外へ運び出すことが出来なかったので、回顧展等には一度も展示されませんでした。そのため、「幻の名画」という、まくらことばが付けられていました。
 しかし、絵を図書室に納めてから、窓かドアをわざわざ小さくしたのでしょうか?
 また、日本ではミナミ美術館に展示されたのが最初ですが、ヴィーヴァーブルック夫人の図書室を出て初めての公開だったのかもしれません。(その辺の事情を知っている方がいましたら、ダリの掲示板にてお知らせください。)