1987.08 ダリ美術館(セントピーターズバーグ)

1987年資料

ダリ美術館の外観

 この写真はダリ美術館の全景です。フィゲーラスのダリ劇場美術館と比較して、なんとシンプルな建物でしょう。ヨーロッパの感覚では美術館とは思えません。この建物は海洋倉庫を改造して造られたものです。
 機能的な建物の白い外壁はフロリダの太陽がすごくまぶしいです。
 美術館の内部は、外観と同じく非常にシンプルな造りで、大きな長方形の部屋です。ただ、「コロンブスのアメリカ発見」(全画集No.1144)や「世界公会議」(全画集No.1185)などの大作のある部分は床が切り下げてあって、見易くなるような工夫がされていました。

美術館の看板
これは、ダリのサインと美術館の名称が表示されたものです。デコレーションの無い建物にあってこのサインのみが印象的です。
ダリ美術館への案内
セント・ピーターズバーグの街中を歩いていると、この看板が目に入ります。
モース夫妻

 この美術館のコレクションのほとんどは、アメリカの富豪であったモース夫妻が収集した作品をセント・ピーターズ市に寄贈したものです。
 夫のレイノルズ・モースはオハイオ州にあるプラスチック関係の実業家であり、技術者でした。奥さんのエレノアと共に芸術に造詣があり、一緒にコレクションを収集していました。二人が1943年春に、初めて購入したダリの作品は「メクラグモ-希望」でした。その後約45年間で、世界最大のダリ・コレクションを築き上げました。このコレクションはダリの重要な作品がほとんど含まれており、写真や刊行物などの資料も完璧と言えるものです。
 当初はオハイオ州クリーブランドの会社事務所脇の建物内に保管され、一般に公開もされていましたが、オハイオ州の課税制度によって散逸してしまう危機があったため、受け入れを表明していたセント・ピーターズバーグ市に寄贈されることになりました。
 モース夫妻は単に作品の購入をしていただけではなく、友人としてポルト・リガトへダリとガラを訪問するなど、ダリとガラに積極的に関わり、真の理解者でした。ただ、ガラの要求は常軌を逸することが多く、夫妻を困惑させていました。

何処にあるのか?

 ダリ美術館は、アメリカ合衆国のフロリダ州セント・ピーターズバーグにあります。私が訪れた時は、成田からワシントンDCへ飛び、国内線のタンパ行きに乗り継ぎをしました。タンパ空港からセント・ピーターズバーグ市内の主要なホテルまでは、LIMOシャトルというバスが運行されていて、低料金でアクセスできます。

セントピーターズバーグ、ヒルトン

私が宿泊したのは、セント・ピーターズバーグ・ヒルトンでした。このホテルからダリ美術館までは歩いて10分くらいの距離です。このホテルには、「Dali Room」があります。勿論、ダリが常時宿泊している訳ではないのでVacantの表示が出されています。

リーフレット

 このリーフレットは、三つ折りでA4版より僅かに大きなものです。表側を表示していますが、裏側にはこの美術館に収蔵されている絵画の数点が掲載されています。
 右側の小冊子は、1983年に作成されたもので、年代毎の作品の特徴や背景などが簡潔に説明されています

しおりなど

 この写真は本のしおりです。見ての通り、青・黄・橙の3種類ありました。本を買ったおまけでいただいたものです。私はこの時12枚もいただいてしまいました。
 右側の写真は買ったものを入れてくれるビニール袋です。美術館の外壁に描かれているサインと同じものです。この袋は大小2種類あって、大きい袋はB3に近く、小さい方はB5に近い大きさです。

ずさんな計画

 私がワシントンからタンパへ向かう飛行機に乗っていたのは日曜日でした。夕方にはセント・ピーターズバーグへ着く予定でした。その飛行機の中で「まさか明日の月曜日が美術館の定休日ではないだろうな・・」と思ったのがいけなかったのか、本当に月曜が定休日でした。火曜日の午前中にはタンパからニューヨークへ飛ぶ予定でしたが、ニューヨーク行きをキャンセルせざるを得ませんでした。ニューヨークではメトロポリタン美術館で「磔刑」(全画集No.1043)を見る計画だったのですが、ダリ美術館を訪れないでこの街を離れる訳にはいかないので、いたし方ありませんでした。ずさんな計画の賜物です。